人は、成人し伴侶を得て家庭を持ち、
子を育てるという人生を送ります。
一文で簡単に書いていますが、その内容は、
ノンフィクションの大冒険小説のようなものです(笑)
人の数だけ小説が書かれているということですね。
取るに足らない、特別、書くこともないような凡庸な人生は
ただの一つもないはずです。
時期を区切り、点で人生を振り返った時、
そこには必ずドラマ有るはずですよね。
ただ、なかなか人生を
ゆっくりと振り返るという時間はとれない、
といいますか、そのような心の余裕がないのが実情です。
特に、子供を育てている期間は、
ほんとにせわしない時間を過ごしているものです。
子供を育てるという
非常に大切な大きなミッションを遂行しながら
社会でバリバリと働き
数々の理不尽や障害を乗り越え
必死に生活を送っている、という期間です。
心の余裕がない、ゆとりがない時期なので、
わが子に対しては、
あぁ、もう小学生かぁ、早いなぁ
あぁ、もう中学生かぁ、早いなぁ
あぁ、もう高校生かぁ、早いなぁ
あぁ、もう大学生かぁ、早いなぁ
あぁ、もう社会人かぁ、早いなぁ
あぁ、もう結婚かぁ、早いなぁ
おぉ、初孫じゃ!
というような、大きなくくりの表現が適当なぐらいの
印象ではないでしょうか?
でも、最後の
「おぉ、初孫じゃ!」
からは様子が変わりますよ!(*^^)vキッパリ
特に、子供世帯と同居をしていないが、
比較的近距離に居を構えている場合。
この設定では、じぃ~じやばぁ~ばが
孫に会えるのは、不定期ですね。
一か月に数回、あるいは年に数回。
たとえるならば、
アナログではなくデジタル?
動画ではなく写真?
でしょうか。
わかりにくいですね(苦笑)
えぇ~っと(汗)
一緒に過ごしていると動画のように、
切れ目のないアナログな
孫の成長を見ることが出来ます。
他方では、会うことは時々になるので
写真のようにデジタルな
孫の成長を見ることになりますよね。
説明下手ですみません、
伝わりましたでしょうか?(笑)
何が言いたいのか?
要は、前回会った時と今回を比べると
明らかに、大きく成長していることに
気付きやすいということです。
髪の毛は毎日少しずつ伸びていますよね。
でも、伸びていることを見ることはできません。
しかし、カット直後の写真と
1カ月後の写真を比較すれば
明らかな伸びを確認ことが出来ますよね。
孫の成長も同じ、ということです。
毎日接していたわが子の成長よりも、
たまに会う孫の成長の方が
目に見えてわかりやすいということですね。
ましてや、じぃ~じやばぁ~ばには
いろんな意味で余裕がありますからね。
だからこそ、じぃ~じやばぁ~ばの目には、
孫の成長が良く見えるのです。
こないだ来た時には、
寝返りも打てずに、
手足を空中でバタバタさせているだけだったのに、
今回は、ズリハイできるようになっている、とか、
「ああ」「うう」だけだったのに
「パパ」「ママ」「ぶぅぶぅ」という単語をしゃべる、とか。
本当に新鮮な驚きを与えてくれます。
じっくり観察?オコラレル できるので余計に可愛いのかも(喜)
「孫だから見える成長の早さ!」
これからも楽しみたいですね。
これは、若さの秘訣でもあると信じています(笑)